KIMINO is myhome !! – きみので暮らそ。

KIMINO is myhome !!

アレンさん

縁でつながる

アレン・ドミニクさんはイギリス出身のカーペンター(大工)。少子化に伴い閉園された元保育園を住居兼工房に、オーダーメイドの家具製作と、オリジナルスピーカーのレンタルを行う「工房アレン’s」を経営している。

結婚を機に渡日。しばらくは英語講師として働いていたが、紀美野町での陶芸窯作りを依頼されたことが転機となり、カーペンターとして仕事を始めた。几帳面で丁寧な仕事ぶりは口コミで広がり、今や町内外を問わず、いろいろなところで作品を見ることができる。ほとんどの顧客同士は横のつながりがあり、また、リピーターからの依頼が多くの割合を占めるというから、顧客が信頼を持って、彼の仕事を紹介していることがうかがえる。

田舎の空気、田舎の気質

当時は隣の市に住んでいたが、陶芸窯作りのために紀美野町に通ううちに、この町が気に入った。都市部は建物同士が近くて窮屈。人口は多いのに、反比例するように付き合いが薄い。田舎にはゆったりとした空気があって、親身になってくれる人が多く、「『よそ者』扱いされなかった」。

それでも、工房にできる物件探しにはだいぶ時間がかかった。「空いているけど物を置いている」、「作業の音が出ると近所迷惑になる」、「トラブルの元は困る」。田舎の土地建物は家族の共有財産で、ひとりの判断で賃貸や売買ができない、という事情もある。最終的に旧志賀野保育所が候補に挙がったのだが、元々が公的な建物であり、賃貸契約は容易ではなかった。当時縁あって関わったひとびとの後押しがあり、ようやく借りるに至ったことを、夫妻は感謝の言葉とともに語った。

紆余曲折を経て同物件に移り住んだアレン夫妻。地域での持ち回りの役を引き受け、地元の集まりにも参加する。ドミニクさんは仕事の関係で知り合いも多い。衣美さん曰く、「私よりも町に溶け込んでる(笑)」。

堅実に営む『生業』

ドミニクさんが紀美野町を選んだ理由はもうひとつある。いわゆる『外国人』である彼は、銀行からお金を借りることが難しい。都市部では開業に多額の資金が必要だが、「紀美野だったら、初期投資も維持費も抑えながら仕事ができる」。スタートダッシュをかけずとも、堅実に営む小さなビジネス。「ここは劇的な何かを求める場所じゃない。ゆっくりと生活していくところ」。それは暮らしと仕事がつながっている田舎の『生業』の形。

田舎での子育て

衣美さんは実家に近い場所に住むことを希望していた。紀美野はその条件に合っており、「田舎での子育てもいいかな」と、移住に同意した。第二子、瑠日くんは紀美野生まれの紀美野育ちで、現在、三人目の紀美野っ子を妊娠中。「紀美野町は子育てに対する支援が厚くて、三人目が産みやすい環境」。子どもの数は少ないけれど、三人兄弟が珍しくない。一方、「学校への送り迎えが大変。近所に子どもがいないから、子ども同士のコミュニティを作ることができないのはかわいそうかな」。自転車に乗れるようになれば行動範囲は広がるが、学校との距離は、子育て期間中ずっと向き合わなければならない悩みの種だ。

保育所、学校自体は気に入っている。ドミニクさんの価値観に照らせば、生徒数が少ない学校に通えるのはラッキーなこと。「イギリスでは小さい学校が人気」なのだそうだ。先生は優しく、ひとりずつに目を向けてもらえる。生徒同士の仲もいい。璃己くんも「学校が好き」。

自宅の庭=旧保育所の広い園庭も、子どもたちのお気に入り。隣接する家がなく、車の心配もない場所だから、気遣い無用でのびのび遊べる。夏場、大きな砂場には、ダディ手作りのスライダー付きプールが出現した。見回せば山と畑。自然に囲まれた遊び場で、バーベキューはもちろん、流しそうめんも楽しんだ。

広がっていく縁

夫妻はその広い園庭を利用して、第二子誕生の前に二回「アレンズマーケット」を開催した。ここで工房を開きますという挨拶とお披露目を兼ねた催しは、地域のひとびとの協力もあり、大盛況。その光景に刺激を受け、田舎にひとを呼ぶ力があると知った地域の有志が集い、別の形でのイベント開催を引き継いだ。夫妻も実行メンバーとして関わっている同グループのイベントには固定ファンがつき、開催ごとに数百人が訪れる一大イベントに成長している。

地元のひとがきっかけとなり、夫妻を紀美野町に呼び込んだ。夫妻の企画がきっかけとなり、地元のひとが動き、地域にひとを呼ぶ流れができた。まるで歯車のようにかみ合って回り、広がっていく縁を、ドミニクさんは「Kimino is my home!」と表現する。

きみので暮らそ。