一所懸命やるしかない – きみので暮らそ。

一所懸命やるしかない

向さん

大阪でサラリーマンをしていたが、自然に携わる仕事がしたい、転職するなら身体の動くうちにと、五十歳で移住を決めた。田舎暮らしを決意してから車で候補地を回り、都会に出やすく、山深くない田舎感が気に入って、紀美野町に移住を決めた。

緑花木生産という選択

当初は養鶏を考えており、紀美野町の移住担当者(当時のワンストップパーソン)に相談したが、畜産業の難しさやリスクを説かれ、代替案として、緑花木生産、桃山の植木組合を紹介された。

緑花木の生産には持久力がいる。体力はもちろん、金銭的な力が。組合から紹介された植木農家での半年間の研修をはじめ、出荷ができるようになるまでの三年、日々畑に向かい、収入なしで生活し、足を踏ん張って耐えなければならない。加えて、初期投資がかなりかかった。若ければ選択肢がある。しかし、向さんに選択肢はなく、背水の陣だった。「やるしかないという状況だったからできたな。ぐらぐら迷って、逃げ道があったら、逃げていたかも。やる気がなかったら投資はできないし、覚悟はものすごい必要。中途半端な気持ちでやったら失敗するわ」。文章にすれば数行、けれど、口から出る言葉には、穏やかながら五年分の実感がこもっている。関門を潜り抜けた現在、バイトひとりを雇用し、研修生ふたりに教える立場となった。

手伝いに来てくれるひとができて、余裕と張り合いが出てきた。基本的に月~土の八時~十七時に仕事をしている。日曜日は休日だが、ゴロゴロしていても仕方がないと、あれこれしてしまう。軌道に乗るまでの数年間は年中無休で働いていたというから、感覚が抜けないのかもしれない。趣味は?「うーん、酒かな(笑)」。町内に、仕事や行事でつながった飲み仲間がいる。

ひたむきに向き合う

マルバシャリンバイ、ウバメガシ、レッドロビン…。自宅脇には、几帳面な性格を表すように整然と、畑に下す前の苗が並んでいる。町内外で借りている畑も、こまめに管理されていることが見てわかる。「きれいにしとかないと絶対あかな」。耕作をしていないからといって、よそ者が簡単に借りられる畑はない。──とはいえ、遊ばせておくのは心苦しいものだから、誰かが使ってくれたらいいなと考えている持ち主は多い。このひとは畑を管理してくれるだろうか、あのひとに任せたら活用してくれそうだ…。そんな目は町内至る所にあって、二十aから始めた苗木の栽培は、五年で約七倍に拡大した。向さんは、その面積に見合うだけの信頼を得ているのだ。

「人柄がうまくコトをはこんでいるんやないかなぁ」。二年半前に手伝いを初めた浦さんは言う。「年中無休で、とにかく一所懸命に仕事をしていた向さんの姿勢を見て、自分もそうしないといけないなと」。何に対してもひたむきで、気配り目配りができる向さんだから、周りの人とうまくやっていけるのだと思う。「田舎に来たいというひとの中には、人付き合いが嫌いだからというひともいるかもしれないけど、そういうひとだと難しいんやないかなぁ」。地元のひとと上手に付き合っていくのは、田舎暮らしの絶対条件で、それには気遣いが大事。

自分にできることを力にする

忙しくても、自治会の交流、地域のイベントにはできるだけ顔を出す。地元の神社の獅子舞奉納では、踊り手として参加する。都会より田舎の方が近所付き合いは複雑。だから、挨拶には気を付けている。「一回怒られたことがあったんよ。畑のことで口をきいてくれたひとに、結果をいうのが遅くなって」。謝ったら許してくれたけど、放っておいたら関係が悪くなっていたかも、と。

「こっちに来て何かを与えてもらう、役場に助けてもらうことを求めてくるのではなくて、ここにきて自分が何をするんや、っていうのがものすごい大切ちゃうかな。『何かをしてもらおう』と思ってきたら『何にもしてくれへん』、となる。自分が何をできるんかと考えれば、プラスに回ってくる。待ってるだけじゃ何もスタートでけへんわな」。移住、起業して五年。前向きな行動力と細やかな心遣いが、地域に根差した緑花木栽培につながっている。

あれから7年

ひらけた田畑の広がる道を、7年ぶりの向さんのお宅へ。
その日は寒い冬の日でしたが、薪ストーブが焚かれたあたたかな家で向さんご家族は迎えてくださいました。庭にはポットに入った緑花木の苗たちが、小さいながらもしっかりと根付き、空に芽を伸ばしています。

ーこの7年間で生活面の変化はありましたか?

5年頃前に紀美野町の方と結婚しました!今は二人三脚で仕事をして、助け合いながら作業ができるんで、仕事の効率がよくなりましたね。畑の面積も当初の20aから10倍以上も増えて、売り上げも上がってきたんで余裕ができてきました。
あとは、ヤギ(あさひちゃん)を飼い始めました。最初は脱走したり草を食べなかったり、大変な時もあったけど、今は大事な家族の一員です。

ー心境の変化はありましたか?

仕事を大きくしようと考えてたけど、後継者がいないんですよ。植木組合も高齢化でだんだん減ってるんで、ちょっとでも若い組合員を増やしていこうとしてるんですけどね。2代目3代目という人はいるけど、新規でやってくれる人がなかなかいないですね。なので、今後どうやって右肩を下げていくかという事を考え始めました。畑が増えすぎたんで、樹種を絞って、条件の悪い畑は減らすというようにソフトランニングを検討しています。

ー最近の楽しみは?

仕事に余裕ができてきたんで、奥さんや仲間と旅行を楽しんでます。1月~3月が繁忙期なんで、それ以外の時やったら2泊3日くらいの旅行もできる。繫忙期が定まってるんで、休みも取りやすいんですよ。旅行に行くでしょ、そしたら必ずね、造り酒屋のお酒を探してくるんですよ。そこで買った地元のお酒をみんなで飲み比べたりして、これはうまい!これはまずい!とか言ってね(笑)。最近は2年間かけて西国三十三所をみんなで回りました。

ーでは最後に…7年前の自分自身にひとこと!

「一生懸命頑張ったら、その分自分が高められる。」
始めた当初、俺は会社を辞めて一人で何してるんやろ~とか思いながらやってた時もあったんですけど、努力すれば絶対報われると思いながら諦めず続けてきたから、結果が出てきたんだと思いますね。まじめに続けていい苗木を作る。それが認められて信頼を築けば、大きな注文につながる。農業はマラソンのようなもので、これって決めたら地道にやり続けるっていうのが大事だと思いますね。

12年という時間を過ごし、花や木と同じように紀美野に根を下ろした向さん。
町の一員として暮らしていくことは周りの人々と信頼を築いていくことだと語る彼の言葉と柔和な笑顔に、その積み重ねの重みを感じました。

きみので暮らそ。