「田舎(ここ)ならでは」を追い風に – きみので暮らそ。

「田舎(ここ)ならでは」を追い風に

助野さん

『農的な暮らし』を求めて

結婚してすぐに、共通の夢だった世界一周の旅に出た。二年かけて各国を巡り、日本に帰ってきた夫妻は『金なし、家無し、仕事なし』の状況。彰昭さんの両親の勧めもあり、実家がある紀美野町へ移住した。しかし、経済的な理由で移住を決めたかと言うと、そうでもない。決め手は、各国を巡る中で、農的な暮らしをしたいという想いが明確になっていた梓さんにとっての『田舎』だったから。もしも彰昭さんの実家が都市部に近かったなら、別の形に落ち着いたかもしれない。

欲張らず、勢いをつけて。

「僕にとっては生まれ育ったところだから、特に不便は感じていないです」。学生時代のころより道がよくなったし、北部へ抜けるトンネルもできた。隣町の会社に勤める彰昭さんの通勤時間は三十分程度。移住前に暮らしていた京都では、一時間程度の通勤は一般的だった。紀美野町から和歌山市まで行っても同程度。都市部と比較してみても遠くはない。田舎に行ったら仕事がないと耳にする。確かに種類は少ないけれど、従事者も少ないから、選ばなければある。都市部に比べれば給料は低く、田舎ならではの出費──例えば、地域行事への寄付、生活必需品である車の維持費などが必要だが、家賃や食材費は都会よりも比重が軽く、トータルで見れば、バランスは取れている。「欲を出しすぎたらいけないと思います。完璧じゃなくても、来たらなんとかなります。来る前に、仕事が見つかるかな、と思うだろうけど、完璧に、準備万端に移住できることはないです。どこかで勢いをつけてくればいいんじゃないかな」。彰昭さんは語る。

インターネットを活用する

梓さんはイラストレーター。都市部ではライバルが多い職種だが、ぬくもりのある作風と生活環境、ニーズがうまくマッチングした結果、田舎暮らしや移住に関する依頼を多く受けるようになった。仕事にはインターネットが欠かせないが、紀美野町は全域に光回線が通じており、その環境があれば、町も田舎も変わらない。彰昭さんも将来的にはインターネットを利用した仕事をしたいと考えている。

子育てで直面した田舎の現実

梓さん、移住してしばらくは、念願の農的生活を楽しんだ。畑仕事に精を出し、近所のおばちゃんにいろいろなことを教わった。しめなわ作り、草鞋作り、鯖寿司などの郷土料理作り。しかし、第一子、颯子ちゃんの妊娠、誕生で、生活が一変する。「買い物に行くにも車で三十分、道中飽きて騒ぐし、コンビニもないからおやつやおにぎりを持参しないといけない。近所に遊び相手もいないし」。子どもの医療費が一定年齢まで無料なのは心強い。だが、病院までは遠く、学校も徒歩圏内にない。町内に二か所しかない保育所(こども園)も狭き門で、入れるかどうか気を揉んだ。息抜きをしたくても、公園も、店もない。「なんで田舎にきちゃったんだろう」、そう落ち込んだ時もあった。若い世代を対象とする補助金などの経済的な援助はあるけれど、環境的な面で子育てに厳しい。

けれど、町内の子育て支援センターに通ううちに、ママ友ができた。ママ友の中には移住者も多い。価値観が近いから、話も合う。颯子ちゃんが結んでくれた縁で「地に足がついた感じ」。そうして町内にできたつながりで、地産地消を楽しんでいる。米はママ友の農園から、野菜、卵は移住者友達から、果実は友人から。食べる物を町内で賄える、その場で収穫させてもらえる。颯子ちゃんも、『お友達のおうちの野菜』を残さず食べる。安心できる食材で、食育ができていることに気づいた。

古民家の改修

現在は実家に住んでいるが、築およそ百五十年の茅葺の古民家を購入、改修中。憧れの物件だったが、「住むのが大変だと後から気づき始めて。もうちょっと考えればよかったかも…」。床は抜けそう、柱も傷んでおり、水道も必要だった。電気はアンペア変更にとどまらず電柱から交換。予想以上に改修費がかかった。購入した物件には土地もついてきたが、広すぎて手が回らない。「専業で農林業をするのでなければ、広い土地の購入は考えた方がいいかも」。

憧れの田舎暮らし、想像と現実には必ずギャップがある。思いがけない特典、想定外の事態。けれど、それをマイナスと捉えるかプラスと捉えるかはそのひと次第。助野さん一家は、そんな『田舎ならでは』を追い風に、日々を重ねている。

きみので暮らそ。