その日思いつくままの田舎暮らし – きみので暮らそ。

その日思いつくままの田舎暮らし

日野さん

日野さん夫妻は護さんの定年を機に大阪から移住してきた。理想は、「その日思いつくままの暮らし」。

行動することが大事

護さんは三十代の頃から定年したら田舎に住むと決め、家族に宣言していたが、「私は来たくなかったんです」と、恭子さん。だが、移住のために積極的に動いたのは、他ならぬ彼女だった。いずれ諦めるだろうと思っていた。大阪には子どもや孫がいる。母親として、なるべくそばにいてやりたいとも考えていた。予想に反して護さんの意思は固く、ひとりでも行く意思を固めていた。ならばと腹を括って、移住の準備に取り掛かった。

埼玉に単身赴任していた護さんの代わりに情報を集め、ふたりで相談、見学に行った。候補地を検討し、大阪から近い紀美野町に決めた。月一回程度のペースで通い、定住案内を受ける中で、同年代の先輩移住者と友達になった。紀美野での生活に関する情報をもらい、移住に関しては「行動することが大事」とアドバイスを受け、メール、電話、手紙でと、積極的に支援する会に相談を持ち掛け続けた。「あの時、個人的に相談できる相手がいなかったら、紀美野への移住を諦めていたかもしれない。移住希望者が、地元のひとに相談できる仕組みがあったらいいですね」。恭子さんは言う。

しかし、イメージに合う家はなかなか見つからなかった。断念しかかっていたとき紹介されたのは、立派な佇まいの古民家。希望していた地域だったこともあり、そこを借りることに決めた。

大がかりな改修

築およそ百年の家はあちこちが痛んでいて、大掛かりな改修が必要だった。大工を始め、電気、水道…それぞれの分野の職人に依頼して、改修工事期間はおよそ一カ月。屋根までは直せず、自力で補修を行ったが、それでも当初考えていた予算の三倍程度の費用がかかった。「自分たちで改修をすればそんなにかからないと聞いていたけど、早く住みたいと思ったらそれはできない」。家の片付けや庭の整理をしながら自力で改修していたら、半年以上かかっただろうと振り返る。それから、「借りる前に、ここを直さないといけない、いくらかかる、という試算がもらえていたらよかったな」。家を決めて移住したものの、予算がなくて改修できない──とならないとも限らない、と。

太い柱、一枚板の木襖、立派な梁。伝統的な家屋の雰囲気を活かしつつ、土間を板間に、風呂を台所に改修、念願の薪ストーブも入れ、住環境を整えた。「広いし、庭も畑もあるし。今は、ここに住めるようになってよかったなと思っています」。念願の柴犬(福ちゃん)が飼えたし、と恭子さんは笑う。

田舎に『ある』もの

田舎は人間関係が濃い。それが楽しい。大阪では町内会も任意で、話すのは隣人くらいだったが、今は、驚くほど知り合いが増えた。すれ違うひとには挨拶をする。挨拶でつながっていった地域のひとは気さくで、たくさん話をする。野菜をもらえば、庭で飼いだした鶏の卵を渡して物々交換。昔からの行事に参加したときには、「まるでTVの世界だ」と感動した。餅を入れた赤櫃を担ぎ、歌いながらお寺に行く『餅まき』、大きな数珠をみんなで回し持つ『数珠繰り』。地域の集まりには、なるべく夫婦そろって参加している。

「土地のひとは、『田舎に来ても何もない』と言うけれど、都会にはないものがたくさんある。『何もない』って言わない方がいいと思う」夫妻は口を揃えた。鶯の声がする、広い空に虹がかかる。水道水が飲める。安全なおいしい野菜が食べられる。「獣も来るけど(笑)」。イノシシ、シカ、アナグマ、アライグマ、タヌキ、マムシ…。「ムカデも出るし、最初は怖くて怖くて、ずっと長靴を履いていました(笑)」。魅力的なこと、苦手なこと。田舎の『ある』は、日々そのものだ。

護さんのイメージしていた田舎暮らしは、『山の中の仙人』とのこと。今の暮らしを理想に照らし合わせると?「五十%くらいかな」。それから、『やりたい、やってみたい』と、『できる』は違う、とも。恭子さんは、「もともと田舎に来る気がなかったひとでも、私のように、来てみたらいいところだなぁとなるひともいます」。想像と現実との違い、実際に暮らしてみて初めてわかること。夫婦それぞれの視点から、田舎暮らしを楽しんでいる。

きみので暮らそ。